これからの医療の話をしよう

日々の診療と世界の路上の間から、日本の医療について思うことを。

急性期医療とヘルスケア医療をわけて考えよう

言ってることがパクリみたいになってないか、ふと心配になって
内海聡先生の『医学不要論』を読んでみた。


各論的には、正しい部分もある。
言わんとすることの趣旨は共感できる。
けれど僕とはアプローチの仕方が異なるようだ。


彼の文章には、分かりあおうという意思があんまり感じられない。
人に何かを伝えたいときには、まずはお互いが了解できる地点を確認し、そこから論理的に一歩ずつ、話を進めるものじゃないですか?


内海先生はそういうアプローチをとらない。
いきなり大多数の読者の反発を買いそうな部分から、トップギアで語り始める。


『医学不要論』というタイトルからしてそうだ。
読んでみると、実は彼が『全ての医学が不要』というスタンスをとっている訳ではないことが書いてある。


要は、炎上商法だ。
理屈を無視し、相手を苛立たせることで、こうやってまんまと彼のマーケティング戦略に乗せられ、レビューを書いている。


結論、この本は一部の喝采を浴びるかもしれないが、彼と異なる意見の人間を説得するような力は持っていないように思える。
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巷の医療批判は、病院を全否定するような語り口になりやすい。
その方がわかりやすくて売れるから。
けれど待ってほしい。
そういう雑な主張が、内海先生のトンデモ評価に直結し、多くの医療従事者を無駄に敵に回している。
現代医学は偉大である。これはもう、間違いない。
点滴補液、抗菌薬、緊急カテーテル治療、人工骨頭置換術…
こういう急性期医療の登場は、人類にとっての輝かしい成功体験だ。
どんな過激なことを言っていても、このあたりの有用性を否定する医療批判論者は多分いない。
内海先生だって実は認めているくらいだから。
けれど、生きるか死ぬかの騒ぎが一段落すると、徐々に怪しい介入が増えてくる。
ルーチンで毎年繰り返される胃カメラと大腸カメラ
破裂予防の為の胸部大動脈瘤ステント
両腕が内出血だらけになっても飲み続けるアスピリン血液サラサラ
しびれに対してなんとなく出されたビタミンB12
医療批判が行われるのは、主にこの領域においてであり、実際に『これってちょっとやり過ぎだよなー』と隣の診療科に対しては、多くの医師は心の底では違和感を感じている。(自分のことは棚に上げてしまうのだけれども…)
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過剰医療の弊害は、特に超高齢者において著しい。
心筋梗塞という病気が起きて
緊急でカテーテル治療が行われ
その後、アスピリンの内服が継続される
たとえ足腰が弱り、頻繁に転ぶようになったとしても
流れの中のどこかの段階で、適正医療が過剰医療へと誰も気がつかない間に変貌している。
血管イベントの再発予防に対するアスピリンの効果は、実際は大したことはない。
論文上では70年飲んで、平均して1回のイベントを抑制する程度であり、これが製薬業界有利なバイアスのかかったデータである可能性を考慮すると、本当の数字は100〜200年に一回くらいかもしれない。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2715005/
一方で、転倒の三大リスクは筋力低下、バランス障害、5剤以上の服薬であり、この3つが重なる場合の1年以内の転倒率は極めて高い。
転んだときのちょっとした頭部打撲が、アスピリンのおかげで頭蓋内出血へとつながる。
あとは入院、手術からの筋力低下、寝たきりへと転落の道をまっしぐらだ。
そういうことを知らずに、患者さんは薬を飲み続ける。
そっと十字架を握り締めるように。
日本の医療費の大半を占めるのは、命を救う抗菌薬ではなく、こういう御守りに近い薬だ。
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今日も外来には、右手が急に動かなくなった急性期の患者さんと、処方箋をもらいに来た慢性期の患者さんが、並んで腰掛けている。
これが医療批判をややこしくしている。
この間に、一本、明確な線を引いたらどうだろうか?
急性期医療と、ヘルスケア医療を区別しよう。
症状があれば急性期、予防目的の内服はヘルスケアだ。
つまり痛風発作は急性期の対象で、高尿酸血症の管理はヘルスケアに分類される。
そうやって線を引くと、物事は見えやすくなる。
内海先生が言う、『医療の9割は不要』という発言の趣旨は、『ヘルスケアコストの9割は、不要であったり、有害であったり、もっと安価な代替手段があるところに浪費されている』ということだと思う。
そうやって言い換えると、急性期病院のお医者さんの半分くらいは、まあそうかもね、と首を縦に振るのではなかろうか?
現代医学の”病巣”はヘルスケア領域から発生している。
それを、急性期医療ごと否定するのは、まさに医療批判サイドの忌み嫌う抗がん剤と同じく、正常組織に不要なダメージを与える営みだ。
『言いたいことをを言って、ハイおしまい』から、建設的な医療批判へ。
その一歩目は急性期医療とヘルスケア医療を線引きすることではないだろうか?もちろん、クリアカットにいかないのはわかっているのだけれど。