これからの医療の話をしよう

日々の診療と世界の路上の間から、日本の医療について思うことを。

病院もそろそろ、”銀座の寿司屋スタイル”を卒業しない?

原子力産業ほどではないかもしれないが

医者の世界も、けっこう閉鎖的だと僕は思う。

医師はライセンス業なので、参入障壁が高い。
基本的には18歳までの時点で、参入の意思を持った人間以外はなれない。
(異業種からのコンバートは不可能ではないが、約10年かかる。)
学部6年、研修2年という長い間、医学部という濃密な半閉鎖空間で、僕達は業界の常識と人間関係にゆっくりと染まっていく。
そうやってウイスキーのように熟成醸造された後、僕らは分別をわきまえた一人前の医師として業界に迎え入れられる。
その頃には、たいていの人は、なんで医者になりたかったかなんて忘れてしまう。

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閉鎖的な業界の内輪の常識というのは、外からみると非常識だったりする。
たとえば、2012年までの医者と製薬会社のベッタリ具合は凄まじかったようだ。僕が働き始める直前までの話だ。

ある製薬会社の営業さんが、いつかカテ室の前でこっそり教えてくれた。
『循環器はステント一本30万円、一回の治療で300万の世界ですからね。競合他社に負けないように必死ですよ。あの頃は接待禁止とかなかったから、僕なんて毎朝、循環器の部長の子どもを幼稚園まで送ってましたよ。他にも野球のチケット取ったり、飲み会の後とかも…わかるでしょう?』

そういう接待慣れした学会の重鎮達が作るガイドラインエビデンスよりエコノミーにベースを置いているとしても、別に驚くに値しないだろう。

日本化学療法学会が、”English man in NY" こと岩田健太郎先生の書籍を総会で販売禁止にしたのも、まだ記憶に新しい。
化学療法も、ハンパなく金が動く領域だ。これは偶然ではないだろう。

激烈な接待は、どうやら法律で禁止されたらしい。
あの頃はよかったという声もちらほらときこえてくるが
こちらはあいにく、バブルも知らない世代。
高級時計をして外車を転がすのがクールだとも別に思わない。

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それでも、医療とカネでおかしな部分はまだいっぱいある。
たとえばこの前、高校の同級生に尋ねられた素朴な疑問。

『なんで病院は会計のときまで値段がわからないの?』

別に病院は銀座の寿司屋みたいに、仕入れ値が日によって変動する訳じゃない。
むしろ保険でベッタリと固定されている。
今は大半の病院が電子カルテを導入しているので、検査や処方を確定する前に、自動的に値段を表示することは、理論上は可能だ。
しかしそういうことは普通は、しない。

業界には、医者がカネの話をしてはいけない、という不文律がある。
研修医はCTやMRIを一回とると、患者さんの請求がいくらになるか教わることはないと思う。
救急外来で傷を縫合しない研修医はいないが、2016年から医療用ホッチキスで固定する場合に創傷処理加算を取れるようになったことを知っているのは、ごく一部に限られるだろう。

建前としては、『健康はカネに変えられない』という理屈がまかり通っている。
医者は、カネのことなど気にせず、患者の治療結果が最良となるように検査し、処方し、治療すればいいと。

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しかし、ホンネはどうだろう?

医療は『患者第一』でないといけない。この原則は絶対である。
これは誰も否定できない。解釈改憲も難しい。
しかし現実的には、医療経済は『売上(製薬、病院)第一』で回っている。
この間を矛盾なく架橋するのが
『医者はカネの話はしない』という不文律だ。

この不文律があるおかげで、善良なお医者さんは患者さんの健康のことだけを全力を尽くして考えることが出来る。
安心のためにいっぱい検査をして、どっさりとクスリを処方する。
結果、病院と製薬業界は潤う。

こうやって『患者第一』と『売上第一』は共存共栄している。

もしここで、いちいち値段の確認がディスプレイに出てきたら?
どうしても善良なお医者さんは、値段を気にした医療を提供せざるを得なくなる。なんていっても第一原則は『患者第一』なのだから。

『うーん、このクスリを安いのに変えたら、毎日、金麦の代わりにエビスが飲めるようになりますけれど、どうします?ちなみに効果はほとんど変わりません。』

医者がカネの話をし始めると、こういう提案が、ぼちぼち出てくる。
『エリキュースをやめてエビスを飲もう!』みたいなフレーズがリツイートされ始める。

考えて欲しい。
そうなると困るのは、誰なんだろう?

僕はたぶん困らない。
なんせ、バブルも知らないんで。