これからの医療の話をしよう

日々の診療と世界の路上の間から、日本の医療について思うことを。

急性期医療とヘルスケア医療をわけて考えよう

言ってることがパクリみたいになってないか、ふと心配になって
内海聡先生の『医学不要論』を読んでみた。


各論的には、正しい部分もある。
言わんとすることの趣旨は共感できる。
けれど僕とはアプローチの仕方が異なるようだ。


彼の文章には、分かりあおうという意思があんまり感じられない。
人に何かを伝えたいときには、まずはお互いが了解できる地点を確認し、そこから論理的に一歩ずつ、話を進めるものじゃないですか?


内海先生はそういうアプローチをとらない。
いきなり大多数の読者の反発を買いそうな部分から、トップギアで語り始める。


『医学不要論』というタイトルからしてそうだ。
読んでみると、実は彼が『全ての医学が不要』というスタンスをとっている訳ではないことが書いてある。


要は、炎上商法だ。
理屈を無視し、相手を苛立たせることで、こうやってまんまと彼のマーケティング戦略に乗せられ、レビューを書いている。


結論、この本は一部の喝采を浴びるかもしれないが、彼と異なる意見の人間を説得するような力は持っていないように思える。
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巷の医療批判は、病院を全否定するような語り口になりやすい。
その方がわかりやすくて売れるから。
けれど待ってほしい。
そういう雑な主張が、内海先生のトンデモ評価に直結し、多くの医療従事者を無駄に敵に回している。
現代医学は偉大である。これはもう、間違いない。
点滴補液、抗菌薬、緊急カテーテル治療、人工骨頭置換術…
こういう急性期医療の登場は、人類にとっての輝かしい成功体験だ。
どんな過激なことを言っていても、このあたりの有用性を否定する医療批判論者は多分いない。
内海先生だって実は認めているくらいだから。
けれど、生きるか死ぬかの騒ぎが一段落すると、徐々に怪しい介入が増えてくる。
ルーチンで毎年繰り返される胃カメラと大腸カメラ
破裂予防の為の胸部大動脈瘤ステント
両腕が内出血だらけになっても飲み続けるアスピリン血液サラサラ
しびれに対してなんとなく出されたビタミンB12
医療批判が行われるのは、主にこの領域においてであり、実際に『これってちょっとやり過ぎだよなー』と隣の診療科に対しては、多くの医師は心の底では違和感を感じている。(自分のことは棚に上げてしまうのだけれども…)
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過剰医療の弊害は、特に超高齢者において著しい。
心筋梗塞という病気が起きて
緊急でカテーテル治療が行われ
その後、アスピリンの内服が継続される
たとえ足腰が弱り、頻繁に転ぶようになったとしても
流れの中のどこかの段階で、適正医療が過剰医療へと誰も気がつかない間に変貌している。
血管イベントの再発予防に対するアスピリンの効果は、実際は大したことはない。
論文上では70年飲んで、平均して1回のイベントを抑制する程度であり、これが製薬業界有利なバイアスのかかったデータである可能性を考慮すると、本当の数字は100〜200年に一回くらいかもしれない。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2715005/
一方で、転倒の三大リスクは筋力低下、バランス障害、5剤以上の服薬であり、この3つが重なる場合の1年以内の転倒率は極めて高い。
転んだときのちょっとした頭部打撲が、アスピリンのおかげで頭蓋内出血へとつながる。
あとは入院、手術からの筋力低下、寝たきりへと転落の道をまっしぐらだ。
そういうことを知らずに、患者さんは薬を飲み続ける。
そっと十字架を握り締めるように。
日本の医療費の大半を占めるのは、命を救う抗菌薬ではなく、こういう御守りに近い薬だ。
ーーーー
今日も外来には、右手が急に動かなくなった急性期の患者さんと、処方箋をもらいに来た慢性期の患者さんが、並んで腰掛けている。
これが医療批判をややこしくしている。
この間に、一本、明確な線を引いたらどうだろうか?
急性期医療と、ヘルスケア医療を区別しよう。
症状があれば急性期、予防目的の内服はヘルスケアだ。
つまり痛風発作は急性期の対象で、高尿酸血症の管理はヘルスケアに分類される。
そうやって線を引くと、物事は見えやすくなる。
内海先生が言う、『医療の9割は不要』という発言の趣旨は、『ヘルスケアコストの9割は、不要であったり、有害であったり、もっと安価な代替手段があるところに浪費されている』ということだと思う。
そうやって言い換えると、急性期病院のお医者さんの半分くらいは、まあそうかもね、と首を縦に振るのではなかろうか?
現代医学の”病巣”はヘルスケア領域から発生している。
それを、急性期医療ごと否定するのは、まさに医療批判サイドの忌み嫌う抗がん剤と同じく、正常組織に不要なダメージを与える営みだ。
『言いたいことをを言って、ハイおしまい』から、建設的な医療批判へ。
その一歩目は急性期医療とヘルスケア医療を線引きすることではないだろうか?もちろん、クリアカットにいかないのはわかっているのだけれど。

パチモノを推奨する厚労省の不思議 ーがんとメラトニンー

みなさんは、メラトニンという名前を聞いたことがありますか?

体内時計を整える働きのあるホルモンで、みなさんのカラダの中で毎日作られている物質です。

このホルモンは、海外では買えます。
睡眠薬(厳密には、安眠の為のサプリメント)として、製造販売されているからです。
アメリカではドラッグストアで、ビタミンCの隣に必ず置いてあります。
成人用のみならず、小児用すら用意されています。(添付写真)
三歳児に睡眠薬を盛るというのは、正直、薄ら寒い光景ですが、訴訟大国のアメリカで小児用と謳って販売され続けている以上、安全性が高い物質であるのは間違いないでしょう。

メラトニンは、日本で一般的に使われているベンゾジアゼピン睡眠薬ハルシオンマイスリーデパス etc)と較べて、依存状態になりづらいと言われています。
またベンゾ系と異なり筋弛緩作用もない為、夜間にトイレに起きたときに転びやすくなる心配がありません。

加えて、このメラトニンには抗がん作用があるという研究結果が数多く報告されています。本日付けで、Pubmed上にはメラトニンと癌の関係について、2040件の論文がヒットします。こういうメタ解析もあります。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3587994/

もちろん、その中には効くという報告もあれば、効果がないという報告もあります。
けれど、メラトニンは物質特許が切れている為、10mg錠が一粒20円という値段で、癌治療容量を服用しても一日40円です。
経済的な理由から、大規模な臨床試験は組まれないのです。
(RCTは組まれていますが、参加者は多くて100名程度です。思い出してください。プラビックスの試験では2万人の参加者がいたことを。)

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人間の体内にもともと存在する物質で、安全性が高く、かつひょっとすると、がん予防効果がある睡眠サプリメントメラトニン

これが、日本では買えません。
厳密に言うと一部の海外サイトで購入することは可能ですが、一般には流通していません。
(かつてはamazonで購入できた時期もあったようですが、ある時期を境に、各社とも一斉にサイト上から消えたそうです。)

何故か?
厚生労働省により未承認医薬品に分類される為、販売は薬事法違反になるからです。
ふーん。
サプリメントではなく、医薬品に分類した上で、かつ承認しないんだ?

ここで不満を言いたいところですが、やめておきます。
なぜなら、ここから更に驚愕の事実が続くからです。

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皆さんは、ロゼレムという名前をきいたことがありますか?

エヴァンゲリオンに出てきたような…?
違います。
これは武田薬品工業が開発した睡眠薬の名前です。
従来の睡眠薬より安全性が高いということをセールスポイントに、2010年に売り出され、昨年度は74億円の国内売上を記録した武田の主力製品の一つです。

これは、”メラトニンもどき”です。
メラトニンが作用するレセプターにくっついて、メラトニンと同じような働きをする物質です。
要は、メラトニンが鍵、レセプターが鍵穴だとすると、ロゼレムは針金を曲げて作った偽の鍵です。

このロゼレムは、日本で認可され、堂々と病院で処方されています。
しかも1錠85円というメラトニンよりずっと高い値段で。

???
オリジナルのメラトニンはダメで、偽物はOKなの?

メラトニンを規制しながらロゼレムを許可するからには、ロゼレムがメラトニンよりも安全、かつ効果が高いのが筋ってもんでしょう?

それなりの科学的根拠があるのかどうか、調べてみました。
ロゼレムは、確かにFDAの認可を受けています。つまり、安全性に関してはそこそこ認められたということです。
ロゼレムの保険採用にあたって、行われた試験はプラセボとの比較のみであり、メラトニンvsロゼレムという比較試験は存在しません。
そして、ロゼレムが癌に効果がある可能性を指摘する論文は、Pubmed上、一本もありません。

つまり、ロゼレムがメラトニンに勝る証拠はひとつもありません。
よくて引き分けか、それ以下です。

ロゼレムが販売されている国は、日本以外ではアメリカ、フィリピン、インドネシア、タイのみです。かつそれらの国での売上は、微々たるもののようです。
(武田のグローバル主要品目売上一覧に、ロゼレムは含まれません。)
それも当たり前ですね。
日本以外の国では、より安全性が高く、より自然で、加えて抗がん作用もあるメラトニンが、ロゼレムというパチモノよりずっと安価に買えるのですから。

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なぜ、厚生労働省メラトニンを認可せず、ロゼレムのみ認可しているのでしょう?

これはルイ・ヴィトンの輸入を禁止しながら、パチモノは堂々と政府の直売所で販売され、かつその値段がパリ本店で買う本物より4倍も5倍もするという、そういう状況です。
これはロゼレム製造元の武田薬品が、日本最大の製薬会社であることと無関係でしょうか?

今、ロゼレムを処方されている皆さん。
貴方には、ロゼレムをやめてメラトニンに切り替える自由があります。
以下のサイトから、本物のメラトニンを購入できます。
http://jp.iherb.com/Natrol-Melatonin-5-mg-60-Tablets/23958

そして、そのときは主治医にここに書かれたことを伝えてください。
僕は誰でも裏がとれる情報をベースに、ごく普通に考えられることを言っています。
まともなお医者さんなら理解してもらえるはずです。

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この厚生労働省の振る舞いから、僕らは何を教訓として学べばいいのでしょうか?

ポスト311とは、これまでの偽善が剥がれ落ちた時代です。
大変に辛いことですが、僕達は自分達の政府が、国民の為に存在していると素直に信じていられない時代を生きています。(というか、戦後日本というのが、例外的な時代だったのかもしれません。)
すこし意識を向ければ、あらゆるところに不都合な真実が見え隠れしています。

真実を知ることが幸せにつながるのか、僕にはわかりません。
(このロゼレム問題にしたって、知らなければ僕はのほほんとロゼレムを処方して、それで一件落着としていられたのです。)
けれど、ひとつ嘘を見つけてしまうと、ドミノ方式に自分の中で常識が覆ってしまうのです。

原発事故とその対応をめぐって、多くの人の中で、常識崩壊のドミノ連鎖が始まっています。
その作業は精神的にとっても疲れることです。
目を背け、思考を停止したくなる気持ちはすごくよくわかります。
しかし、もう引き返せないところまできてしまいました。
どうせなら、いくところまでいってやろう。
その先の景色がみてみたい。

僕は最近、そう思っています。

※:著者とサプリメント会社に一切の利益相反はないことを明記しておきます。

日本人が総ロリコンなのは性産業のせい?

前回、日本人がデフォルトでロリコンであるという論を展開しました。

それには、日本が世界一の性産業大国であることが関係しているように僕には思えます。

そもそも、日本は世界一の性産業大国なのでしょうか?
この場合の性産業には、キャバクラ、スナック、メイド喫茶などのソフト風俗も含む事とします。
『女性とのコミュニケーションの対価に金銭を払う業態』は性産業です。
これにアダルトビデオ、エロゲー、エロ出版物も加えましょう。

どうですか?
タイのパッポン通りがいかに巨大でも、あれは外国人向けです。
アムステルダムもそうでしょう。
歌舞伎町を超える歓楽街が、この世界の何処かにありますか?

ーーー

僕が日本の風俗大国ぶりに気が付いたのはロサンゼルスにおいてでした。
ハリウッドを擁し、数多くのギャングスタラッパーを生んだ、アメリカ西海岸の雄。
さぞかし、華やかなナイトカルチャーを誇るのかと思いきや…
別にそうでもない。

アメリカには、ストリップクラブというのはあります。
でも、その数は全米合わせても熊本のキャバクラの数より少ないんじゃないか?っていうくらいです。

そして、日本男性の心のオアシスと思われる、キャバクラ、スナックなどのソフト風俗がアメリカには存在しません。
たぶん、この背景には欧米に強く根付いたフェミニズムの思想があります。
僕はフェミニズムに詳しくありませんが、キャバクラがフェミニズム的にNGだろうなーというのは、なんとなくわかります。

アメリカには、ほとんど風俗が無い。
アメリカのドラッグ文化が盛んなのは、風俗が禁止されている事と関係があるのではないかと僕は思っています。

(※:ラスベガスのあるネバダ州だけは売買春が合法です。各地に違法な風俗はもちろんあるでしょうが、囮捜査があったり買った方も逮捕されたり、規制は厳しいようです。)

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次に話は中南米に飛びます。
ついてきて下さいね。

中南米には風俗はあります。
けれど、キャバクラなどのソフト風俗はありません。僕が知る限り。

何故か?
行けばわかります。
お触りは、日常的にタダだからです。

彼らは挨拶代わりにハグし、ほっぺにキスします。
キューバなんて気温は年中30℃以上、汗でベトベトなのですが、とにかくみなさん、スキンシップが得意です。
加えて、中南米全体にはサルサがあります。
(”歌う”と”踊る”というのは、スペイン語学習では”食べる”、”働く”と一緒に習う日常基本ボキャブラリーです。)
あれはもう、ほとんどSEXじゃないかと思うのです。
いい歳したおじいさんでも、若い女の子と抱き合ってクルクルと回っています。
アングロサクソンのクラブ遊びが馬鹿らしくなるようなパワーと美しさがサルサにはあります。
そういう理由で、中南米にはキャバクラやお触りパブがありません。

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ついでに、インドとフィリピンにも飛びましょう。

どちらの国もストリートチルドレンで有名ですね?
では問題。ストリートチルドレンにも母親や父親はいるはずです。
彼らは何処に住んでいるでしょう?
答えは、親もホームレスです。
一家揃って、交差点の真ん中に座り込んでいるのをよく見かけます。
家は無くても、SEXはするし子供はできる。
これが、野生の人類の姿だなーと、僕は思ったのです。

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今、日本ではお金がないと子供どころか、SEXもできません。
さらに言えば、異性とハグどころか、ヘタをすると話もできません。
そういう人が沢山いるから、女性とのチャットに課金する仕組みが商売として成り立つのです。

ところ変われば、常識は変わります。

性産業は文化的にタブーな国がある。
見知らぬ若い女の子と、お金も払わずに楽しく踊れる国がある。
カネがない人に残された唯一の娯楽がSEXという国がある。
そして、キャバクラで異性と話をするだけで法外な金がかかる国がある。

日本の性を巡る状況は、たぶん、けっこう特殊です。
いつからこうなのか?なぜこうなったのか?

ーーーーーーーーー
これは仮説なのですが
戦後日本の”全てはカネの為に”というイデオロギーと関連していると思われます。
今まで、子守を大根と交換にご近所さんにお願いしている限り、GDPはゼロです。
それが、シッターを雇うようになると、GDPに貢献します。
介護もしかり。

そうやって、気がつくと僕たちは日常の全てのアクションに、金銭の授受が発生する社会を築き上げてきました。

その”全てをGDPに”という大方針に、エロのような巨大な欲望が巻き込まれない訳がありません。
性欲で儲けるポイントは、カネを払わないと欲求が満たされないような構造を構築することです。

僕はバーでシャンパンを売っていたのですが、シャンパンを売る為のポイントは、シャンパン以外の酒に飲む価値はない、と客に信じ込ませることです。

たぶん、同じマーケティング戦略が性風俗業界でも、集合意識に選ばれたのでしょう。
『女は若くないと価値がない。女子高生こそ至上』と。

その結果は大成功。
日本男性は、やがて若い女性にしか性欲を覚えなくなり…
そしてこの出生率です。
ーーーーーーーーー

性の産業化→マーケティング戦略による嗜好の矯正→満たされない欲望を性産業が解消→それ以外のSexが廃れる

どうでしょうか?
これが僕の視点でみたこの国で今、起きていることに関する仮説です。

建設的な異論、反論をお待ちしております。

医療ビッグデータ新法を考える

写真は1月10日の読売新聞の第一面。(ちゃんとアップできてるのか?)

政府は2018年中に、「医療ビックデータ新法」の設立を目指しているそうです。

読売新聞は政府の御用機関なので、「患者の個人情報」を「個人の医療情報」と言い換えたりして、話を分かりづらくしようとしていますが、僕が理解した内容は以下の通りです。

①政府が「学会や医薬品開発を行っている団体」を認定機関に指定する。

②認定機関は、病院や薬局に「患者の治療歴、検査結果、投薬歴、副作用などの情報」の提供を呼びかける。

③情報提供するかどうかは病院に決定権があり、患者の同意は不要。

④「学会や医薬品開発を行っている団体」は情報を匿名化した後、「大学、製薬会社などの研究機関」に情報を提供する

これをどう思いますか?

因みに、①カジノ法案を通す政府が指定する「認定機関」というのは、製薬会社の外郭機関でしょう。(他に”医薬品開発を行っている団体”がありますか?)

情報提供を呼びかけられた病院側は、情報を提供を拒否しないと思います。
普段から製薬会社の営業が入り浸っている民間病院はもちろん、公的病院にも学会という上層部から圧力がかかることが予想されますので。

しかも、情報提供に際して、患者の同意は不要とすると書いてあります。

つまりこの法案の心は
「製薬会社は日本中の電子カルテ上の情報に自由にアクセスできる」
ということではないでしょうか?

ーーーーーー
これによって得をするのは誰でしょう?

まず、データにアクセスできる研究者です。
これまでいちいち同意を取って集めていた情報を、勝手に好きなだけ使えるようになります。

そうやってデータ解析した結果は、製薬会社の商品開発とマーケティングに応用されます。
これまで莫大なコストをかけて集めていた情報が、無料で使いたい放題です。
この法案の90%は、大製薬会社の利権の為にあると思います。

そして、残りの10%…

この法案を通した政府の人達は、当然密約を結ぶでしょう。
「お前のところを認定機関にしてやるから、必要に応じて俺の言う通り情報を提供するように」と。

カルテからは多くのことがわかります。
アメリカは入手したカルテから、北朝鮮金正日の寿命をある程度予想していました。

僕が安倍首相だったら、山本太郎さんと蓮舫さんのカルテ情報は確実に取り寄せます。
もしかしたら山本太郎さんのカルテには、かつて風俗で性感染症にかかったことがあると書かれているかもしれません。
蓮舫さんは眠れなくて睡眠薬を飲んでいるかもしれません。
そういうことがわかっていると圧倒的に有利です。

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「別に狙われる理由もないし、個人情報になんてどうでもいい」
多くの日本人はそうやって感じていると思います。

確かに直接的で目に見える被害はないかもしれません。
けれど考えて下さい。

特定機密保護法、共謀罪、そしてカルテ情報筒抜け法案…

政府のやることに反対する人間が、正当な手続きで処分される社会がすぐそこまで来ています。

共謀罪が成立したら、僕も医療大麻とか言ってる時点で逮捕されるんじゃないかと心配しています。)

そうやって誰もNoと言わなくなった後、僕らはどういう末路を辿るのでしょうか?

これは僕の杞憂でしょうか?

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病院もそろそろ、”銀座の寿司屋スタイル”を卒業しない?

原子力産業ほどではないかもしれないが

医者の世界も、けっこう閉鎖的だと僕は思う。

医師はライセンス業なので、参入障壁が高い。
基本的には18歳までの時点で、参入の意思を持った人間以外はなれない。
(異業種からのコンバートは不可能ではないが、約10年かかる。)
学部6年、研修2年という長い間、医学部という濃密な半閉鎖空間で、僕達は業界の常識と人間関係にゆっくりと染まっていく。
そうやってウイスキーのように熟成醸造された後、僕らは分別をわきまえた一人前の医師として業界に迎え入れられる。
その頃には、たいていの人は、なんで医者になりたかったかなんて忘れてしまう。

ーーーーーーーーー
閉鎖的な業界の内輪の常識というのは、外からみると非常識だったりする。
たとえば、2012年までの医者と製薬会社のベッタリ具合は凄まじかったようだ。僕が働き始める直前までの話だ。

ある製薬会社の営業さんが、いつかカテ室の前でこっそり教えてくれた。
『循環器はステント一本30万円、一回の治療で300万の世界ですからね。競合他社に負けないように必死ですよ。あの頃は接待禁止とかなかったから、僕なんて毎朝、循環器の部長の子どもを幼稚園まで送ってましたよ。他にも野球のチケット取ったり、飲み会の後とかも…わかるでしょう?』

そういう接待慣れした学会の重鎮達が作るガイドラインエビデンスよりエコノミーにベースを置いているとしても、別に驚くに値しないだろう。

日本化学療法学会が、”English man in NY" こと岩田健太郎先生の書籍を総会で販売禁止にしたのも、まだ記憶に新しい。
化学療法も、ハンパなく金が動く領域だ。これは偶然ではないだろう。

激烈な接待は、どうやら法律で禁止されたらしい。
あの頃はよかったという声もちらほらときこえてくるが
こちらはあいにく、バブルも知らない世代。
高級時計をして外車を転がすのがクールだとも別に思わない。

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それでも、医療とカネでおかしな部分はまだいっぱいある。
たとえばこの前、高校の同級生に尋ねられた素朴な疑問。

『なんで病院は会計のときまで値段がわからないの?』

別に病院は銀座の寿司屋みたいに、仕入れ値が日によって変動する訳じゃない。
むしろ保険でベッタリと固定されている。
今は大半の病院が電子カルテを導入しているので、検査や処方を確定する前に、自動的に値段を表示することは、理論上は可能だ。
しかしそういうことは普通は、しない。

業界には、医者がカネの話をしてはいけない、という不文律がある。
研修医はCTやMRIを一回とると、患者さんの請求がいくらになるか教わることはないと思う。
救急外来で傷を縫合しない研修医はいないが、2016年から医療用ホッチキスで固定する場合に創傷処理加算を取れるようになったことを知っているのは、ごく一部に限られるだろう。

建前としては、『健康はカネに変えられない』という理屈がまかり通っている。
医者は、カネのことなど気にせず、患者の治療結果が最良となるように検査し、処方し、治療すればいいと。

ーーーーーーー
しかし、ホンネはどうだろう?

医療は『患者第一』でないといけない。この原則は絶対である。
これは誰も否定できない。解釈改憲も難しい。
しかし現実的には、医療経済は『売上(製薬、病院)第一』で回っている。
この間を矛盾なく架橋するのが
『医者はカネの話はしない』という不文律だ。

この不文律があるおかげで、善良なお医者さんは患者さんの健康のことだけを全力を尽くして考えることが出来る。
安心のためにいっぱい検査をして、どっさりとクスリを処方する。
結果、病院と製薬業界は潤う。

こうやって『患者第一』と『売上第一』は共存共栄している。

もしここで、いちいち値段の確認がディスプレイに出てきたら?
どうしても善良なお医者さんは、値段を気にした医療を提供せざるを得なくなる。なんていっても第一原則は『患者第一』なのだから。

『うーん、このクスリを安いのに変えたら、毎日、金麦の代わりにエビスが飲めるようになりますけれど、どうします?ちなみに効果はほとんど変わりません。』

医者がカネの話をし始めると、こういう提案が、ぼちぼち出てくる。
『エリキュースをやめてエビスを飲もう!』みたいなフレーズがリツイートされ始める。

考えて欲しい。
そうなると困るのは、誰なんだろう?

僕はたぶん困らない。
なんせ、バブルも知らないんで。

僕も君も狂っていることに、君は気が付いていたかい?

# 国境線上からみたLove&Sex①

この国を取り囲む”自主規制の空気”が、正直、趣味じゃない。
だから、そういう空気はなるべく読まないようにしています。

ということで今回は、赤裸々に日本の性について。

今日言いたい事を一言で表すなら
日本の男は、全員がロリコン
しらざぁ言って聞かせましょう。

過去1年の間に、日本の二つのCMが海外で炎上しました。
一つが、ブレンディのCM。
もう一つが鹿児島県志布志市が作った、うな子のCM。
百聞は一見に如かず。知らない方は観て下さい。

ポイントは、どちらも大企業と地方行政という、お堅いところのCMだということです。
恐らく、炎上させるつもりは毛頭なかった。
つまり、自分達の性癖が世界的にみると異常性欲だという自覚がない。
そして、そのことを指摘する人が内部にはいなかった。

ーーーーーーーーー

幸いにして?そういう指摘を僕はイギリス人から受けました。
インドでマラリアの研究の手伝いをしていたとき、僕とUKから来たハナは、退屈を持て余していました。

そこで、お互いのFBを眺めながら、この子が可愛いやらどうこう、言い合っていたのです。
あんまり品のいい遊びではないという自覚はあります。

僕が『この子が可愛い』と選んだ一連の写真をみて、彼女は言いました。
『正直、あなたの性癖は歪んでいるわ。』
『あなたの挙げる女の子はみんな人形みたい。不健康そう』

ちなみに、僕が列挙したのは標準的な”日本の可愛い女の子”です。
しかし、確かに言われてみると、そこにはある種の偏りがあることに、間違いはない。

ーーーーーーーーーー

この偏りを、我が友は一言で言い表しました。

『フ○ッキン・ロリコン・ジャパン』と。

声優やフェスの司会をしている彼女は、あるとき疑問を感じたらしい。
『私は絶対、2年前より上手になっている。なのになんで仕事が減る?』

答えは、年齢。
女性の”女としての賞味期限”が切れ始めるのが、この国では早い。
30を過ぎると、タレントはそれだけで仕事が来なくなる。

身体的未熟性が、性的な魅力として高く評価される。
それが日本の『KAWAII』の特徴だと思います。
そういう目でみてみると、JKビジネスとか盛り上がるのは、日本だけかもしれませんね。
捕まったら、社会的に抹殺。
それでも女子高生に特別な性的価値を感じる層が、この国にはたくさんいる。

この『JKバブル』的性観念は、どのようにして形成されたのでしょうか?
ーーーーーーーーーー

可能性の一つは、二次元エロ媒体の高度な発達でしょう。
たぶんこれまでの20年、子供達がエロと最初に接するのは、マンガでした。
いつの頃まで遡ればいいのかわかりませんが、僕が中学生の頃には、ジャンプでは”アイズ”という人気エロ漫画が連載していました。
あと、ヤングアニマルの”ふたりエッチ”とかね。
このジャンルの連載は、どうも年々、少しずつ増えています。
子供向けに書かれたエロマンガで洗礼を受けて、そのままエロアニメ、エロゲーへ。
そうやって、ロリで始まった制欲の対象が一生涯、固定化されるという構図が認められるのではないでしょうか。

ーーーーーー
またもう一つの可能性として、日本男性の自信の無さがあるのかもしれません。
伝統的な父権制度の下では、男は女より上位に位置付けられていました。
それが、今日ではほぼ崩壊しています。

男であるというだけでは、もはや女を従えることが出来ない。
すると男は、無意識に、もう一つの尺度をそこに導入して、自分の優位性を維持しようとします。それが年齢です。
相手が自分より年下であれば、自分の優位性を保つことができる。
そして歳の差があればある程、自分の優位性は高くなる。
そうやって、若い女の子ほど好まれる構造が生まれます。

ーーーーーーーーーー

さらに指摘しておきたいのが、マーケットの要請です。

『日本は戦後の経済成長の過程で、性を産業の一部にしてしまった。』
これはまた日を改めて取り上げたいテーマですが、日本人の性的な審美眼には、マーケティングの影響から逃れられない。

商品として販売できるものは、普段手に入らないものです。

一般的な成人男性は、女子高生と日常的に接触する機会がない。
だからこそ、商業的な価値を煽ることができる。
性という巨大産業の成立の過程で、若年への需要の偏りを生み出す必要が、マーケットにはあった。
JKへの需要も、ルイヴィトンへの渇望と同じく煽られた欲望だと、僕は思います。
ちょっと難しいかな。詳しくはまた後日。

ーーーーーーーーーーーー
このようにして、日本男性の性的嗜好ロリコンに偏っているおかげで、男子も女子も苦悩しています。

生身の現実に、性欲が起動しない。
二次元しか愛せない、というのは決して例外ではなく
この国の水面下で急速に一般化しつつある現象なんじゃないか?

どうもそんな気がしています。

透明な人たち 東京都墨田区

隅田川にかかる或る橋のたもと、一軒の古びた病院がある。

最近、ときよりお世話になっている仕事場だ。
この病院、都内で有数の救急車の受け入れ台数らしいが、ERを守るのは常に僕のような非常勤医、一人。
事情も知らないまま、初日からいきなり番頭さんである。

ERとは、様々な不測の事態が生じる現場だ。
怒鳴られる、殴られる、見落とした、態度が悪い、謝れ、訴訟だetc etc。
(全国の研修医の皆さん、ご苦労様です。)
そういう研修医が巻き込まれたゴタゴタの処理をする「ケツ持ち」として、救急科の部長は給料を貰っている。(と僕は理解している。)
そういう責任者が不在でも、日々の業務が成り立つのだろうか?

どうやら大丈夫なようである。

大丈夫な理由が、この病院の客層だ。
トラブルは少なくはない。
けれども、ここでは法廷闘争にもつれこむリスクは限りなくゼロに近い。
何故ならここは、ホームレスと生活保護患者達が運び込まれる病院なのだ。

ーーーーーーーーー

搬送されてくる患者の半分以上は、「差し迫った医学的問題※①」はない方々だ。
けれども、想像のとおり「問題」は山積みである。

今月の生活保護を使い切ってしまって、3日間、何も食べていない人。
路上で酔っ払って、寝ていたら通行人に救急要請された人。
警察署の前を行ったり来たりしていたら署内に連行され、その後大声をあげて叫んだのちに急に倒れた人。
彼らはみな共通して、すえた匂いを発し、会話は脈絡がなく、実年齢よりずっと老け込んで見える。

彼らは全身でSOSを表現している。
もはや、うまく言葉にすらできないのだけれど。

その多くは救急搬送の常連さんだ。
思うに、彼らは孤独で、寂しいのだと思う。
救急車を呼んでも、現状は打開されないことは流石にわかっている。
それでも誰かとことばを交わしたくて、呼べば必ず答えてくれる救急車を呼んでしまう。

そんな彼らのことを、僕を含めた病院のスタッフはおしなべて邪険に扱う。
通り一遍の検査だけして、(ときにはそれもせず)ふたたび路上や簡易宿泊所へと追い返す。
「そういうのは市役所の人に相談してね」と伏目がちに答えながら。

確かに、仕方がない側面はある。
病院はホテルじゃない。
生活保護費を使い切った人達を、望むままに入院させていたら
病院はあっという間に満床になってしまう。
(そうやって僕らは、良心の呵責をやり過ごしている。)

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けれども、そんな彼らを、自己責任とか自業自得という言葉で片付けるのも酷だと思う。

Nさんは、この病院の常連さんだ。
自分は電話を持っていないので、何かと理由をつけて通行人にお願いして、救急車を呼んでもらってやってくる。
もとは青森の農家の二男だか三男で、高度経済成長期と前後して、仕事を求めて東京へ出てきた。

彼や東北地方から単身上京して来た人達が住み着いたのが、北の玄関口である上野周辺のドヤ街だ。
(同じようにして南から出てきた人達がホームタウンとしたのが川崎周辺らしい。確かに両地域の雰囲気は良く似ている。)

彼らは建築関係の日雇い仕事をして、日銭で飲み食いし、宿代を払うという生活を繰り返し、徐々に歳をとり、身体は磨耗し、同時に日本経済は衰えていった。

「今は土木ではもう雇ってもらえないね。安くで働く若い外国人がたくさんいるから。俺なんて「あっち行け!」ってされる。今はアルミ缶を拾って生活している。値段?1キロ集めると70円で買ってもらえるんだ。俺はあんまり集めるの上手じゃないから一日で500円くらいかな。」

それでも、生活保護は受給したくないと彼は言う。
それが彼に残された最後の矜持なのだろう。

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人生は麻雀に似ている。
配牌から、上がっているようなラッキーな奴もいる。
勝負手を手堅くモノにして、逆転する奴がいる。
そしてときに、何となく切った牌で、役満を振り込んで、一気に転落することがある。

彼はどこかで牌を切り間違えたのだろうか?
働いて、日銭を稼いで、それで飲む。
その暮らしは、僕や貴方とそんなに変わらないはずだ。

もしやり直せるなら、どこから始めればいいのだろう?
離婚しなければよかったのか?
酒を飲まなければよかったのか?
些細なプライドの為に喧嘩して、仕事を辞めたのがよくなかったのか?
それとも、そもそも青森の農家の二男なんかに生まれたのが悪かったのか?

要は、配牌が悪かった。
そういうのは、自己責任なんだろうか?

救急外来のストレッチャーに腰掛けながら、身の上話をしたところで、次の搬送の入電があり、僕は彼を路上へと帰した。
去り際に握った彼の手は、大きくゴツゴツとした労働者の手で、それでいて握る力は儚いものだった。

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オリンピックもいいかもしれない。
海外からの観光客が増えるのも結構だ。
しかし、おもてなしの名の下に、彼のような人達は旅行者の目に付かないところに追いやられていく。

ここ、墨田区には渋谷区や豊島区、世田谷区をはじめとした、都内のあらゆる地域の生活保護を受給している人が集まっている。
何故か?
2002年の日韓ワールドカップの際に、海外からのメディア、観光客の目が届かない“東京右半分“へと、収容されたからである。

僕ら、一般生活者からすれば、彼らは透明人間だ。
そんな透明な人達がかつて作った道路を僕らは歩き、彼らがかつて作ったアパートへと帰る。路上に座り込む透明な人達の前を、素通りして。

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休み時間にコンビニでアイスを買って病院へ戻ると、入り口の隣に先ほど診察した路上生活者が座り込んでいる。
今月の生活保護費を3日前に使い切って、なにも食べていないと言っていた方だ。
僕は先ほど買ってきたガリガリ君を彼に手渡し、病院へ戻る。

彼が出たところに座っていることを看護師さんに伝えると、彼女はちょっとして様子を見に行く。ERでは冷たくしてもみんな、本心ではやはり気になるのだ。

「今、歩いて公園に帰っていきました。アイス美味しかったって伝えて欲しいそうです。」
もし彼に一時でも立ち上がる力を与えてくれるなら、これほど意義のある70円の使い道は他にないように思える。

救急車が一回出動する毎に、平均して6万円の税金が使われる計算らしい。
彼らが求めているのは、ささやかな食べ物と、暖かい毛布と、ちょっとした優しさで、それは救急車を呼んでも手に入らないけれど、仮に6万円あれば充分に満たすことのできる欲求だ。

どこかでボタンが掛け違えられている。
そう思いませんか?